頭は何に使えばよいのか?
大学教授のM氏は、「頭は記憶するためにあるのではなく、多くの想像をするためにある。」と断言する。
すなわち、「知識の詰め込みを行うのではなく、新しい何かを考え出すことが頭の役割である。」ということです。
しかしながら、社会生活をしている中でこの解釈をしている人はそう多くないような気もします。
なぜならば、多くの知識を持っている人が賢く、あまり知識を持っていない人はバカと表現されているからでしょう。
しっかりと情報整理ができていて、どんなときにでもその知識を生かせる人は重宝されます。
逆に多くの知識を持ってはいないが、毎日のようにギャグを考えたり、だれも気にしないようなことを熱心に観察したりする人はあまり重宝されない。
重宝されるときは今までにないことを発揮した時だけかもしれない。
それでも大学教授のM氏は、「頭は思考するためにある。」と主張する。
現代のパソコンによる情報処理技術が発達した時代にはなおさらであるともいう。
小さなことをあまり頭に残さないことが重要で、大きなことをやり遂げるにはこれが効果的だという。
独自の知的想像こそが「頭の役割」である。
また、大学教授のK氏によると、「人間はすべての情報を記憶しておくことはできない。」
「むしろ、知識を多く持つ人や豊かな想像力を発揮する人、手が器用な人、行動力がある人などが集まっている時のほうが効率よく物事は進んでいく。」という。
世間一般に賢いといわれている人だけでなく、バカと非難される人も混ざっているほうが効率がよいのか?
これは企業でいうと派閥をつくらないことや、適材適所、バカな想像の認知などが効率よい社会をつくりあげる鍵となる。
天才開発や英才教育だけでなく、だれも想像しなかったところに目がいく人材をしっかりと確保して育てることも重要な教育である。
知的想像こそが脳の役目としてとらえることで今までにない世界が想像されていく。
先日出会った青年がいったひと言、「幸せは幸せであらず。」
彼の見解はこうである。
「幸せ」は「幸い(さいわい)」ですので「都合がよい」という意味として考えると、現代人が感じている「幸せ」とはかけ離れているという。
「支合わせ(しあわせ)」や「思合わせ(しあわせ)」という表現が現代には適しているという。
前者は「支え合う」で、後者は「思い合う」を意味する「しあわせ」。
こんなときにこそ「しあわせ」を感じられるという発想からできたようです。
彼の周りではこんな表現がメールに多く使用されているというから驚きです。
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